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全学教育システム改革推進本部

学生評価の効用(2006.12.01)

小谷眞男(生活科学部 助教授)

 「何かFDエッセイを」ということなので、この際、学生評価に話を絞って書くことにした。

 お茶大に来た当初は、自家製フォーマットで自分の担当科目についての学生評価(student appraisal)を学期末にやっていた。「人にモノを教える」という慣れない営為に全く自信がなかったからである。「生活法学総論」に対する学生評価の最初の4年間(1998-2001)の推移をみると、「この講義はものの考え方を深めたり知識の蓄積に重要な寄与をなしたか」という評価基準がおおむね好成績で、「重要な概念が明確かつ分かりやすく説明されていたか」という基準の評点が概して低かったということがわかる。自由記述欄にも「毎回の講義のテーマをもっと明確に示してほしかった」というものがあって、体系的な説明に不十分な点があったことを示唆している。「配布資料や課題の出し方は適切であったか」という評価基準については、経験的に要領がつかめてきたせいか、年々数字が改善されている。

 自由記述欄には、そのほか、「議論して深く考える練習になった」など肯定的意見がある一方、「みんなの意見をプリントして配るのは他の人の考えも分かってよいが、名前は載せないでほしい」という感想もあった。そこで、その翌年からは特定の論題についてコメントを書かせる前に「編集してフィードバックするときには名前を伏せませんから」とあえて言っておくようにした。そうすると学生も覚悟を決めて(つまり責任をもって)自分の意見を書く。文章を通じてであれ口頭であれ他人との率直な意見交換があってこそ、ひとりひとりの考えを深く耕していくこともできるという経験、これもまた楽しからずや、というわけである。

 毎年のように指摘されているのが「板書が見づらい」「黒板に書きながら説明されると混乱する」といった感想である。どうも思いつきで書きなぐる私の板書は相当分かりにくいらしく、他の科目のリアクション・ペーパーでもしょっちゅう批判されているところだ。あるとき、あれこれ板書計画を立てて改善を図り「今日の板書はどうだったであろうか?」と批評を求めたら、「板書に注文つけるなんて学生のわがまま。そんなのいちいち気にするな」と逆に慰められた。

 「生活法学総論」に話を戻すと、「普段の課題が多すぎる」「そのうえ、学期末の最終レポート提出+口述試験は負担が重すぎる」というたぐいの不満、これも毎年必ずある(ちなみにこの科目では、イタリア式に、学期末の個人別口述試験をおこなっている)。そこで、これもシラバスに「この科目は結構やってもらうことが多い(らしい)です」と予告しておき、開講時にも直接注意を喚起することにした。これは一種のスクリーニング効果がある。

 以上は、どちらかと言えば技術的なことであるが、2年めの最後に「生活法学とは何のためのものなのか、結局最後まで分からなかった」と書かれたときは、これはなんとかしなければならないと思った。それには生活世界と法ルールの関係を吟味するという法社会学的な課題が生活者にとってどういう意味をもっているか、このような問いに包括的に答えることが必要になってくると考えられるが、その探索の過程はいまだデコボコ道の途上にあると言わざるをえない。

 2002年度から全学共通の授業評価フォーマットが導入された(個人的にはそれまでの時系列分析が杜絶させられて大いに迷惑したが)。その後の4年間(2002-05)の評点の変遷をみると、「質問・発言を促してくれたか」の項目に一番強い反応があり、反対に「量・スピードは適切だったか」に依然として過重負担感が認められる。自由記述欄でも「普段の課題が非常に多くて大変だったのに、ほとんど出席しなかった人が学期末レポートだけで単位が取れるのは納得できない」という一見もっともらしい意見があった。そこで、私の科目では何であれ出席は一切取らないこと、その代わり成績評価についての考え方・基準・平常点のウェイトなどを翌年度から出来る限り明示するように努力した。「毎回最後のほうが駆け足となり時間不足で欲求不満が残った」とか「リアクション・ペーパーを書かせるときは、最後にもう少し時間を残しておいてほしい」という批判は耳に痛い。未だに時間配分がうまく出来ないのは、教師として全く情けない話である。さらに「授業の運びがやや単調」ぐらいはまだいいとして、「小谷氏の話は眠気を誘うので、もっとアグレッシブに展開してほしい」あるいは「もっと気の利いたことを言ってくれれば目も覚めます」などというコメントを見たときは、いつの間にか惰性に陥っていたのかもしれない自分に気づかされた。10月25日のFDシンポジウムでもそういう話が出ていたが(先月の千葉さんのエッセイにも)、こちらが何か新鮮な知的興奮を感じながらやっていると、学生は鋭敏に反応してくるし、受講中のテンションも高い。このことは今年度から遊び心で始めた実験的新設科目「法と文学」でも毎週実感させられているところである。お茶大生の知的感度を甘くみてはいけないのだ。

 いずれにせよ、もし昨年度の「生活法学総論」の学生評価の結果が何らかの観点からみて「良かった」というのであれば、それは疑いなくこれまでの受講者たちのおかげであろう。

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