学生がスキ
和田 英信(人間文化創成科学研究科研究院 基幹部門 文化科学系 准教授)
外国語の授業は、教師よりも学生の方がより多く話すというのが理想だと思います。もちろん私語ではなく、いま学びつつある外国語のことですが。
中国語という未習外国語の場合、四月五月の習い始めの段階では、慣れぬ発音の練習は学生にとってはちょっと刺激的な経験。中華料理の名前を中国語で発音する練習など、みんな目を輝かせ、逆上がりに挑む小学生のように、なかなか熱心に取り組んでくれます。ここで声を出す楽しさを感じてもらえたら、学生にできるだけ発音してもらうという上記の目的も達することができますし、クラス運営についても夏休み前まではまず大丈夫と、自分なりには思っています。
問題は発音の練習も一通り終わり、簡単な表現も学び終えた頃でしょうか。とりわけ夏休み明けになると、せっかく覚えた発音もかなり怪しくなり、文法知識もうろ覚え。初めての外国語に接するといった新鮮な感触も、とうに失われています。教師にとっても、学生にとっても、このあたりが乗り越えなければならないヤマ場のようです。
わたしの場合は、このあたりで学生に新しい課題を与えるようにしています。さほどむつかしくはないが、とはいってもそう簡単にはクリアーできない、たとえば、短いフレーズの暗誦。その際、はじめは教師のあとについて反復する。ついで教師と同時に発話する。これを数回教科書を見ながら繰り返した後、徐々に教科書を見ないようにする。そして最終的には覚えてもらう。有名な漢詩の朗読ならびに暗誦なども、有効なようです。
以上は技術的なことがらにすぎませんし、教師のみなさんはそれぞれに工夫されているところだと思います。約二十年の教師生活をふりかえってみて、会心の授業ができたという記憶はほとんどありません。わたしに限らず、授業の前になると気が重くなるというのが大方の正直なところではないでしょうか? こころがけていることは一つ。できるだけ学生の良いところをみて、学生を好きになること。これも授業前の憂鬱を少しでも軽減させたいために、自然に身につけた作法のようです。
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