無限なる潜在能力をどのようにして引き出すか
菅野 健(人間文化創成科学研究科研究院基幹部門 文化科学系 准教授)
生まれて初めてドイツ語を勉強し始めた大学1年生の時、いつ頃の時期であったか、教育という言葉に対応するドイツ語のErziehungは、本来erziehen「引き出す」という意味であることを教わりました。
やがて自分自身がドイツ語を教える側になり(私の生涯はただ黒板の前で反回転しただけのことであった、と言ったのは、西田幾多郎でした)、教壇で学生と向き合うことになりました。教師になったばかりのあの頃を思うと、何をどのように教えていたのか、冷汗が出る思いです。
ドイツに2年間留学するという機会を与えられ、帰国直後に、お茶大の非常勤の話をいただきました。ドイツ呆けしていた頭に、お茶大の教室での授業は、いかにも新鮮に映りました。学生がとにかく真面目で真剣で、日本で今もなおこのような授業が可能になる場がありうるのだと、ある意味では驚きでもあり、感動でもありました。
それからさらに縁があって、お茶大の専任になることになりました。専任になった側でドイツ語の教育の場を見つめ直してみると、またまったく違った面が見えて来ました。お茶大の未修外国語のカリキュラムは、すばらしいと思うのですが、初級のクラスは「文法」と「演習」がペアで行われ、私の場合はこの2つのクラスに週2回出て、つまり同じクラスを週2回教えることになりました。このペアを2組、初級では担当し続けました。
初級のこの4コマの他に、勿論、中級も上級も専門科目も大学院科目もあるのですが(現在、お茶大におけるドイツ語専任教員は、私たった一人であります)、何よりもまず、お茶大生の資質にあった、お茶大カリキュラムにふさわしい初級教科書の必要性を痛切に感じました。とにかく、教師が学生の力を引き出すのは当然のことなのですが、それよりも以前に、学生が学生自身の潜在能力を自ら引き出し得るような教科書はどのようなものになるであろうか、と考え続けました。
どのようなドイツ語の例文によって、ドイツ語の基本構造を理解し、そしてさらに演習の時間の方では、十分な練習問題を解きつつ、力を伸ばし続けることができるような教科書である必要がどうしてもあります。そのために、授業においてどのようなドイツ語の文章が理解されやすいか、あるいは理解されにくいか、そしてどのような問題であれば、学生が自ら意欲的に予習において取り組むことができるか、検討し続けました。
お茶大生の資質は素晴らしいものなのですが、問題はその資質をどのようにして教師が、いやそれよりも学生自身が引き出し得る、そのような仕組みによってできあがっている教科書がなければならないのでした。
そのようにして、お茶大生にふさわしい初級ドイツ語教科書ができあがった時、お茶大で初めて教え始めてから、ちょうど20年の歳月が経っておりました。そして今年は、この教科書を使っての授業ができるようになって、7年目の年になります。
この教科書一冊が、お茶大における、お茶大生のための、私のライフワークなのでありました。今年もまた、多くの学生が、自らのうちにある無限の潜在能力を引き出し続けておりますように……。
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