生命と環境 2 生命倫理 : 大久保 紀子・吉村 均[文教育学部 人文科学科 哲学] |
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LA科目を担当して |
この科目は従来の「倫理・宗教」からの移行科目として移行科目ということで、今年から大久保先生と二人で担当させてもらっています。
この授業は前半に大久保先生が神道に関する部分を、後半は僕(吉村)が仏教に関する部分を担当しています。大久保先生との共通認識として、伝統的な観点から、現代を斬る! ということをテーマに授業を進めています。
今は、宗教はくだらない、といった見方が若い人の間で主流になっています。科学的ではない、ということが理由ですが、これは科学的で客観的な物差しが正しい、といった今の教育の問題でもあります。ですからこの授業では、学生が今まで使ってきた物差しで考えているものとは異なる考え方で生命と宗教を見せる、ということを目指しています。
内から見る心の問題を粗末に扱わず、当たり前と思っていることを「あれ? 違うな?」と思って、もう一度考え直す、そういったきっかけになればいいと考えています。 |
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学生の皆さんへ |
科学的なものの見方が客観的で正しく、そうでないものは主観だから正しくない、そういった切り捨て的なものの考え方ではなく、心の視点でものを見る、今までとは異なる考え方でものごとを見ることを身につけてほしいと思います。
そして、もののとらえ方は一つではなく、いくつものメソッドがあり、それが何のためのメソッドなのか、考えていけるようになってほしいと思っています。 |
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授業(潜入ルポ?!) |
この日は「ケアとしての仏教」について。遺族にとっての「脳死」と「死」の違いや意味など、臓器移植法案A案が衆議院を通った直後でもあり、考え込んでしまいました。
さらに人間は本当に「自由なのか」ということを話された後に、全員で目を閉じて、「何も考えない」(!?)ということを体験しました。人間というのは、常に何かしら思い描いているようで、目を閉じて何も考えていないつもりでも、様々なイメージや音などが脈絡もなく次々と浮かんでは消えていきます。それをもって「自由とは何か」を考えてください、というのです。(意外と難しい課題ですが、皆さんも試してください)
また、先生は、「授業で宗教の話をすることは批判が多いが、これは信心を勧めるためではなく、宗教というものの考え方を知ることにこの授業の意味があり、それを知らないことはとても危険だ」とおっしゃっていました。
学生が柔軟にものを見られる可能性を教えてくれる、実り多い授業でした。 |
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当日授業担当:吉村均講師 取材(文・写真):教育企画チーム 野口香織 |